続・孕草紙 SCENE 1 「一人旅の夜の夢」




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1-1

礼拝堂を歩き出でれば深い木々に囲まれる。
森の斜面を一時間ほど南に登ると、見晴らしの良い大丘陵のてっぺんに出る。
うっそうと暗かった北半分とは見違えて、
広大な丘の南半分には豊かな麦畑が拓かれていた。

陽光を麦穂に含んで明るく光る農地を下っていけば、
やがて険しい山脈に通せんぼされて広い景色も行き止まり。
「実りの丘から岩の山へと行き交う前に、ここらで一休みをいたしましょう」
麦をはぐくむ農民たちは、そういう中間地点に自らの村を構えている。

お言葉に甘えるようにして、山道を目指す旅人は
大抵この村で補給を取って英気を養う。
北側の森ではなく、東の細道を通って丘を迂回すれば帝都ガイノスへと続き、
山脈を頑張って南に越えるとヴァンス伯爵領の東北端に道が繋がる。
――と聞けば交通の要衝にあるようにも思えるが、
何のことはない傍流の田舎道であり、街道としての整備はなされていない。
同じ日々を堅実に繰り返す農村で、たまに宿酒場の門を叩く旅人といえば
帝都を夢見て田舎から遠出してきたお上りさんか、
帝都を捨てて流浪の旅を選んだ女剣士くらいのものだった。



人口二百人ほどの農村は、兎にも角にも暗かった。
第一に、日照りの良い土地を麦に譲って、人々は岩山の陰に住むせいだ。
第二に、今はそもそも夜だった。

だけどそういう物理的な条件よりも、精神面において暗すぎた。
一ヶ月前まで帝国全土を沸かせたクイーンズ・ブレイドの最中でさえ、
村人たちは頭上の魔力映像を観る気も起こさずに
うつむき歩いて自分の影と悩みの相談をしていた有様だった。

酒場を覗いてみれば、晩飯時だというのに閑散とした店内だ。
まばらに卓を囲んだ酔客たちは、話もせずにビールをあおり
あまりの苦さに一口だけで杯を置いてまた黙る。
そんな酒場の二階に、レイナが一人で宿を取っていた。
村の事情をさっぱり知らない彼女だけは、
久方ぶりに心ゆくまで安眠できる、静かで素敵な夜だった。


--


クイーンズブレイドの激闘の後。
大陸中に実況されたレイナの勇姿は、
一介の戦士としての気ままな放浪を許さなかった。
寄る町、寄る村、どこに居たってサインや弟子入りのお願いだ。
仕方がないので暑苦しくフードを被り、人の群れを避けて旅をする。
すると今度はお尋ね者と間違われ、お役人たちに大人気のレイナさんだった。

ところがこの農村の人々は有名人を知らないようで、
レイナは久方ぶりに一人旅の自由な空気を満喫できた。
すっかり機嫌を良くした彼女は、
一晩の宿といわず四〜五日ほど逗留しようかと算段しながら、
宿屋の個室で初日の夜を過ごしていたのだ。

少し早い宵のうちからレイナは夢の中にいた。
『ああ、安さも美味さ……今夜は大満足の夕食ね』
銅貨数枚の料理で寝る前のお腹を一杯にして、喜びは夢の中まで続いていた。
かつての箱入り娘も流浪を重ね、物の価格を知ったらしかった。
深い眠りの中に旅の疲れが溶け去っていく。

やがて酒場の客もめいめい帰ってしまい、田舎らしい静かな暗闇が訪れた。



夜が更けて真夜中頃。
木製の扉がゆっくり開き、誰とも知れぬ人影をレイナの部屋へと侵入させた。

「レイナは居るか?」
「……居ると思う」
「眠ってるか?」
「んもう、自分で確かめたらいいだろっ!」

闇に紛れてひそひそと話す二人組。
窓の星明かりだけでは判じ辛いが、どちらもまだ十代始めの少年らしい。
悪意や殺気は感じられない。
なのでレイナとしては、犬の遠吠えやフクロウの夜鳴きを聞くのと同様に、
子供の内緒話を耳に捉えながらもぐうぐう眠ったままだった。

「すげえ……やっぱり、本物のレイナだ」
少年の目に憧れの光が宿る。
皆が下を向いて歩くこの村で、まだ上を見る気力があるのは元気盛りの子供だけ。
少年たちは消沈した村の天空に、ずっとクイーンズブレイドの熱狂を観ていた。
あられもない格好で寝ている目の前の女性が、
大陸最強の剣士であると知っているのだ。

「レイナに頼めば、きっと大丈夫だよな?」
「おー、前のオッサンみたいな口だけじゃない!
 レイナならオークなんて一発さ!」
「ドラゴン・テイルで一発だよな!」

明るい声を弾ませて、希望の視線でレイナを見やる。
女戦士の肉体は寝間着の胸元を大きくはだけて、仰向けに胴体を開いていた。
気持ちよくリズムを刻む呼吸に合わせて、豊かな果実が上下している。
そろそろお年頃も近い少年たちの視線には、
憧れと希望に加えて、何だかけしからん物が混じり始めた。

「――なんつうか、おっぱいもスゲェな」
「触ってもいいよね?」

『良いわけあるか』と突っ込んでくれる大人が側に居なかった。
すげーだとか、やわらけーだとか、悪びれもない四本の手が
レイナの乳房を自由自在にこね回す。
子供たちの温かい手の平に、甘酸い女の汗がじっとり滲み、
桜色の突起が固く上を向いていく。
健やかだったレイナの寝息はたちまち熱を帯び、
安くて美味しい食事の夢が、官能の肉色夢へと入れ替わっていくようだ。









「あん……エリナ、止めてってば……」

寝惚けた制止の声を聞いても、子供たちは調子を上げていく一方である。
――エリナだってさ。お前、エリナは知ってる?
――ニクスに勝ってトモエに負けた人。
――じゃあこれは知ってる?エリナって、レイナの妹なんだよ。知ってる?
――……それは知らない。本当?
どちらかというと性欲より好奇心で手を動かしながら、
小さな手は傍若無人に女体を弄る。
レイナはとうとうパンツをずり下ろされて、
潤んだ秘裂を指で拡げられるまでに至った。
ここでようやくレイナも(夢の中で)堪忍袋の緒を破り、
不届き者に鉄の拳を見舞っていた。

「エリナっっ!! いい加減にしないと怒るわよっっ!?」

パンチの瞬間、揺れ弾む裸の乳房から汗が光って飛び散った。
子供たちの身体も水滴のように軽々とすっ飛んでいき、
土の壁にぶち当たってめり込み、完全にのびてしまった。
目も開けないままぷんすかと拳を払い、レイナはすぐに眠り直した。

今夜のところは、もう誰も目覚めている者が居なくなり、
村の大人に抜け駆けしてこっそり頼むはずだった少年たちの『お願い』は
明日までお預けということになってしまった。


1-2

翌日。
早い朝食の後にしっかりと鍛錬し、水を浴び、
軽々とした気分で散策しながら村の風情を全身で吸う。
レイナは充実した休息の時間を堪能していた。
さぁ程よくお腹も空いたし、安くて美味しい食事で満腹になろう。

昼食を求めて酒場宿に戻ったレイナが
鼻歌交じりに両開きの木扉を開く。
すると途端に店の中では、十を軽く超える人影が椅子から立ち上がってレイナを見た。
酒場兼食堂のホールにはぎっしりと村人が詰めかけて、
レイナの帰りをじっと待っている状態だった。

「自由時間は終了、かしら……あはは」

またしても有名税を肌に感じて、レイナは力なく笑った。



夜に騒音を立てた子供たちは親にたっぷり絞られて、レイナの勇名を白状していた。
それが朝一番の話で、憂鬱だった村の中に静かな動揺が広がっていく。
大陸一の剣士ならば、あるいは一縷の望みになるかも知れない。
昼飯どきには村の長老たちまでが剣士の宿に押しかけて、
みんなの目は一様に、必死な気持ちをたたえてレイナの姿を注視していた。

休日の取り消しにガッカリした感は否めないけど、レイナは彼らに真っ直ぐ向き合う。
好奇心で囲まれたのではなく、レイナの人物そのものが求められているのだろうから。
彼女は再び足を動かし店に入ると、
とりわけ雰囲気のある老人に一礼をして、同じ卓に腰掛けた。
上品に歳を取った小柄な老婆は、まさに村長その人だった。
皆もゆっくり席に戻って、酒場はとても静かであった。

「ご高名な剣士様とは露知らず、無礼にどうかご容赦の程を」
「いやあの。本当に、そんな大層な者では無いです……」

多数の期待に包み込まれ、丁寧な村長を前にしながら
レイナも行儀良く相手の言葉を待っている。
内心では、いつ空腹の虫がぐうと鳴きはしないかと、冷や冷やしたものであったが。

「人さらいのオーク達を討伐して頂きたい、
 かどわかされた娘たちを助け出して頂きたいのです。
 こんな寒村ゆえに、ろくな報いを献ずることも叶いますまいが……
 なにとぞ哀れな民草をお救い頂きとう御座います」
「ともかくお話だけでも伺います、続けて下さい」

村人達としては最大の懸案であろう謝礼の程度について、
レイナはまるで気にした風もないまま依頼話の先を促した。
農民にとって武士とはいわば異民族であるだけに、みな警戒していたのだけど、
大陸最強の剣士とやらは、”すごい見た目”に反して礼儀正しく、欲深くも無さそうだ。
場の期待はますます高まっていく。


--


丘の南側に広がる小麦畑を登っていくと、北側は深い森に包まれていて、
古くからオークの一部族が住み着いているという。
村の爺さま婆さま曰く、何百年もの昔から麦の村はオークの森と共存していた。

「鬱蒼とした木々の底には、古い古い礼拝堂跡が御座いまして……」
「ふむふむ」
(……かなり長そうな話だけど、お昼を済ませていないのは私だけなのかしら)

信仰を忘れた人々に代わって、オークが礼拝堂に棲みついた時、
神様はその醜さに嫌悪を示して社を離れ、
丘の片方側を伐れない森で覆い隠してしまった、と伝わっていた。
それから数世紀もの日々が過ぎるのだけど、
狩猟と略奪に生きるはずのオーク達が村を襲うことは一度もなかった。
本当にオークなのかと疑うほど大人しい。

しかし確かに彼らがオークであると、いつの時代にも確実な目撃者が居た。
なんとなれば、なぜか雄しかいないオークたちは、
村の娘たちとつがって子を作り、代々の血脈を森に繋いでいたからだ。
オークと村は呪いじみた不文律で繋がっていた。
――それが一年ほど前から唐突に崩れ、困り果てていたという。

「村の娘たちとつがって、て、オークと?
 それって、つまり……え?ええええええっ!?」

レイナの目が露骨に泳ぎ、顔は真っ赤に茹で上がる。
(処女だな)、(たぶんそうだな)と、村人達の一部は
ますます女剣士に好意的になっていく。

オーク達は六年から七年おきに村娘を一人さらって、一年かけて子作りをする。
被害にあった娘はボロボロの姿で村へと帰還し、
以後は『巫女』として村での地位を保証される習わしだった。

「この婆ァめも、若かりし日にお勤めを果たし申した」
「ひ、ひえええ……」

小娘だった頃の村長が実際に見た光景は、まさに言い伝えの通りであった。
暗い廃墟の中を数十頭のオーク達が根城にしていて、
まだ処女だった村長を亜人の男根で犯し、犯し、犯し抜いて種付けをした。
きっちり一年続いた陵辱の日々で、村長は四回の臨月を迎え、
合計で二十数頭ものオークを、それこそ豚の子のように産まされたという。

静まった酒場の中に、ごくりと唾を飲む音が聞こえた。
そのうちの一つは、もちろんレイナのものだった。

「そんなやり取りが、何百年も続いてきたんですか……」

”狂っている”と言いたげなレイナに理解を促すように、
村長は言い伝えに自分の言葉を足して語った。
我ら巫女には、一年で人相が変わるような災いであったれど、
はたして村としての利益はどうだったのかと。

豊かな麦畑を目の前にしながらも、この数百年、
森に匪賊や山賊が棲みつくことは無かったという。
正確には棲みつきかけた事もあったのだけど、オークに追われるなり殺されるなり、
森の近隣から除去されてしまったようだ。

ただでさえ多産多死の人の世で、ひとたび賊や戦の風が吹けば
若い女の生命はあっという間に狩り尽くされてしまう時代であった。
兵を雇う金銀を持たず、王都の治安も中々届かぬ僻地の農村に、
オークは実に優れた用心棒であったと言える。

オークを仮想敵とすることで、村の人心も並よりずっと団結がある。
村は巫女の汗血と引き替えに、何世紀にもわたる奇跡の平和を享受したのだ。
「ついに嫁にも出れずに、老いさらばえた我が身ではあるが」
自分の人生は無駄ではなかったと、村を守った誇りがあると村長は言い切った。
こんどは静かな酒場に、涙鼻水をすする音が聞こえた。

「でも……その約束事が破られてしまった?
 何年かに一度、一人だけ女性がさらわれて、オーク達の、その、相手をするっていう」
「まさに左様で御座います」

……ぐうぅぅ

レイナはきれいにまとめたつもりであったが、
最後に彼女の胃袋が音を上げたので台無しだった。
厨房であわてて火を起こす気配が起こった。
レイナはまた顔を赤らめて、軽く咳払いで流そうとした。
その意を汲んで感謝しながら、村長は話を先に進めた。

「今年に入って、もう三人もさらわれてしもうた……
 一年経てば戻るものと信じとうござりますが、
 まだ今は誰一人として帰って来やしません」

そもそも次の孕ませ年まで三、四年はあるはずなのに。
こういった事態は古文書などにも例が無い。
産めよ殖やせよ、オークはついに村に攻めてくるということなのか。

一世代以上続いた平和は誰にも永遠に思えるが、その分、終わりはいつも唐突だ。
自分が終わりの坂道に居たということに、終わる直前まで気づけないからだろう。
きっと何かしらの前兆はあったのだろうか。
誇りがひび割れる想いだと、村長はそう言って下を向いてしまった。

「何かしらの、前兆……」

レイナは美闘士として充分な心当たりがあった。
クイーンズ・ブレイド。
特に今回のそれは、過去の大会に比べてあまりに闇が濃かったという。
開幕に呼応するがごとく、参加者たちは大陸の各地で剣に十字架を背負った。
遠く海を隔てたヒノモトですら。

村長から異変の話を聞けば、時期的には完全に一致している。
だから村は中継を見る暇もないほどに焦っていたのだ。
目の届く範囲の闇は全て斬り払ったつもりであったが、
まだまだ帝国を行脚すれば、くすぶり続ける火種に幾つも出会っていくのだろう。
その一つが、いまここに。

オーク討つべし。
レイナは話の終わらぬうちから、すでに戦いのことを考えていた。


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